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From: egi@sannet.ne.jp (Katsumi Egi)
Newsgroups: fj.rec.movies
Subject: Re: がっかりだったお正月映画試写会
Date: 1 Dec 1999 23:06:07 GMT
惠木です。
In article , niimi@netjoy.ne.jp
says...
>
>新美@NETJOY INTERNETです。
>
>> 『カプリコン・1』は、非常に面白かったと思いますが…
>>
>> どうでしょうか!
>ピーター・ハイアムズで面白かったのは『カプリコン・1』
><<だけ>>かも?
>まあ、この作品、脚本の力ですね。
どなたかも上げておられましたが、『カナディアン・
エクスプレス』は悪くなかったですね。
(この映画はハイアムズが脚本を担当していません。)
『カプリコン・1』も「脚本の力」なんて言葉に還元
できない力強い画面があったと思いますよ。
テリー・サバラスのエピソード、飛行場や空撮などは
ちょっと忘れられません。
完成した映画を見ただけで、「脚本の力」などとよく
仰れるなぁ...と私などには思えます。
--
惠木
From: egi@sannet.ne.jp (Katsumi Egi)
Newsgroups: fj.rec.movies
Subject: Re: ピーター・ハイアムズ(Re: がっかりだったお正月映画試写会)
Date: 2 Dec 1999 14:23:17 GMT
惠木です。
In article <824q4d$jdp$1@knsv02.akina.ne.jp>, y.u.u.@akina.ne.jp says...
>でも、あれだけの名作を焼き直すっていうのも
>結構な勇気が要ったと思います。
>それも才能のうちに入れましょう。
『真昼の決闘』はラジーな作品(ヒットしたけどつまんない映画)
だと私は思います。時計の描き方をヘンリー。キングの『拳銃王』
と比較してみて下さい。この映画を焼き直す、というだけで志の低
さを露呈しています。
『リオ・ブラボー』を焼き直した『コップランド』なんかの方が
ずっと評価したくなります。(贔屓のひきたおしと言われても)
>P・ハイアムズと聞くと思い出すのが、
>ジョン・ヴァダムです。
>#私だけか? σ(^_^)
>
>どうもこういう人たちは嫌いになれない。
>#あんまり、大作と縁がなくて小粒〜中粒ぐらいまでのアクションを
>#一生懸命(な感じがする)作っている監督さん。
>
>ドン・シーゲル、リチャード・ドナー、
>リチャード・フライシャー
>G・P・コスマトス、ロバート・アルドリッチ、
>
>なんかが、このカテゴリーに含まれています。
>#私だけか? σ(^_^)
シーゲル、フライシャー、アルドリッチの3人と、ハイアズムとか
ドナーとかコスマトスといった監督を一緒にするなんて、いい度胸
していますね。:-P
例えば『燃える平原児』や『突撃隊』、例えば『センチュリアン』
や『スパイクス・ギャング』、例えば『キッスで殺せ』『北国の帝王』
と比肩しうるハイアズム作品、ドナー作品、コスマトス作品があったら
どうかお教え下さい。謹んで拝見いたします。
--
惠木
From: egi@sannet.ne.jp (Katsumi Egi)
Newsgroups: fj.rec.movies
Subject: Re: ピーター・ハイアムズ(Re: がっかりだったお正月映画試写会)
Date: 3 Dec 1999 15:09:54 GMT
惠木です。
In article <8272a4$o77$1@knsv02.akina.ne.jp>, y.u.u.@akina.ne.jp says...
>
>「拳銃王」は未見なので比較できないのですが、
>よろしければ、その時計の描き方っていうのが
>どのように違うのか教えていただけませんか?
>#ちなみに私は「真昼の決闘」は面白かったです。
『拳銃王』と『真昼の決闘』はいずれも主人公がその仇討ちで
やってくる敵を待ち、終始時間を気にしているというシチュエー
ションに共通点があります。2つの作品の差異を簡単に言えば、
『拳銃王』は、時計を見せない演出、グレゴリー・ペックが酒場
の壁掛け時計へ何度も何度も視線を送る画面を出しながら、その
時計を殆ど写さないで彼の焦燥感を映画に定着させていっている
のに対して、『真昼の決闘』では、主人公はクーパーじゃなくて
時計じゃないかと思うくらい時計の画面が多いのです。
ま、勿論、ある映画を好きになれるかどうかなんて個人の嗜好
の問題なんですが、主人公の焦りを視線の演出で見事に表した、
あるいは時間経過を照明(太陽光線の移り変わり)で表した第一級
作品である『拳銃王』に比べるまでもなく、時計の画面ばかり出
る『真昼の決闘』は全く平板な映画だと私には思えてしまいます。
--
惠木
From: egi@sannet.ne.jp (Katsumi Egi)
Newsgroups: fj.rec.movies
Subject: Re: がっかりだったお正月映画試写会
Date: 3 Dec 1999 14:59:00 GMT
惠木です。
In article <384729CF.39C4FAEB@isid.co.jp>, yaginuma@isid.co.jp says...
>
>こんにちは。
>柳沼と申します。
>
>「脚本の力」ということなんですが、
>
>脚本は原作やストーリーラインがベースにあって、その上で
>映像化される直前OR最後の文章となりますよね。
>その脚本を映像化する人が監督ということになります。
そういうことです。この点を押さえられているのは助かります。
>これらの映像化される直前の文章で、監督は映像を頭に
>思い描いて、それに必要な舞台美術・大道具・小道具
>俳優・ライティング・音楽をくっつけていくことになります。
>総合芸術たるゆえんですが、これらは映画の中で必要なものだとは
>思いますが、すべてのベースは脚本にあり、直感的に映画が面白くない
>と感じたなら、脚本を疑うのは当然の帰結だと思っております。
全てのベースは脚本にある、ま同意しましょう。
しかしながら、ある映画が直感的に面白くないと感じたときに
全てのベースであるところの「脚本」のせいだと疑うのが当然で
あるという論理が私にはさっぱり分かりません。
#"定説"ってやつですか :-P
>特撮が下手なら、観客は「特撮にもっと金をかけろ」と
>すぐにわかるはずです。
>完成した映画以外に我々はそれを知るすべはありません。
>それを見て面白くないと感じたら、脚本がいまいちかなと
>思うのは素直な反応だと思います。
この段落も同様なのですが、論理構造が理解できません。完成
した映画を見た時に、一般の観客が知り得るのは脚本ではなく、
画面と音(音響を伴う映画の場合)だけではないでしょうか。なら
ば、脚本の善し悪しではなく、画面か音の善し悪しだと思うのが
素直じゃないですか。
ここでの画面とは、演出、演技、撮影(照明含む)、美術・装置、
編集等を含んだ意味合いで使っています。
#今回の新美さんの投稿も、前に、つる姫さんと同様の議論をし
た時にも感じたことですが、映画を見て脚本が良い悪いと云う
方は、どうも柳沼さんの云う真の意味での、ドキュメントとし
ての「脚本」ではなく、完成した映画を見た範囲で判りえる
「筋」や「科白」のことを指しておられるような気がします。
--
惠木
From: egi@sannet.ne.jp (Katsumi Egi)
Newsgroups: fj.rec.movies
Subject: Re: がっかりだったお正月映画試写会
Date: 5 Dec 1999 01:27:07 GMT
惠木です。
In article , niimi@netjoy.ne.jp
says...
>
>まず、稚拙な表現の投稿でしたこと、陳謝いたします。
謝っていただく必要などありません。稚拙な表現でもありません。
ここは開かれた場所です。感じたことをご自分の表現で書かれれば
良いし、私も同じようにそうさせていただいています。
>別記事に記しましたように、チームワークが映画の良いところなので、
>本来の「脚本」だけ良くても、×な作品はあるようです。
>そういう意味で言うと、○○監督作品というと、まるで、監督
>だけが作品を作ったような感じを受けますが、いかがですか?
監督は通常、映画の質的な責任者、少なくも撮影現場ではチーム
リーダですから、○○監督作品という言い方に私は違和感を覚えま
せん。
ただし、『天国の日々』のようにネストール・アルメンドロス
が映画を支えていて、本当はマリックよりもアルメンドロスの方
が監督だったのではないか、と思える例や、『ミッドナイト・ク
ロス』のようにヴィルモス・ジグモンドの撮影だけでかろうじて
映画たりえている、という場合もあって、「映画は監督の物」と
は一概に言えないですね。
--
惠木
From: egi@sannet.ne.jp (Katsumi Egi)
Newsgroups: fj.rec.movies
Subject: Re: ピーター・ハイアムズ (Re: がっかりだったお正月映画試写会 )
Date: 5 Dec 1999 01:25:23 GMT
惠木です。
In article <82bd2g$d76$1@nw041.infoweb.ne.jp>, fwjh2591@mb.infoweb.ne.jp
says...
>
>はるみです。
>Katsumi Egi wrote in message <825vcl$56j$1@news01.osaka.sannet.ne.jp>...
>:惠木です。
>: 『真昼の決闘』はラジーな作品(ヒットしたけどつまんない映画)
>:だと私は思います。時計の描き方をヘンリー。キングの『拳銃王』
>:と比較してみて下さい。この映画を焼き直す、というだけで志の低
>:さを露呈しています。
>そうですか?
>私はゲーリー・クーパーに魅力を感じないのですが、この映画は好きですけど。
はい。好きな方が沢山おられることは存じ上げております。
編集者のエルモ・ウィリアムスが、ジンネマンの撮ったラブ・
シーンをばっさりカットしたらしく、確かにきびきびしたリズム
が出ており、そんなところが良いという意見はあるでしょう。
しかし、"名作"であることが約束事のように議論が進み出すと、
私のように決して"名作"と思えない者は異議を唱えたくなります。
せっかくだから、どこが好きなのか書いていただければ良いと
思うのですが。
>この作品のユニークさは、実際の上映時間1時間20分(これにタイトルなどて゜計
>84分)=物語が進行する時間であるという点です。
まさか、この趣向があるから「好き」っと仰ってるのでは無い
ですよね。
上映時間=物語の時間という映画はあとデ・シーカの『終着駅』
くらいでしょうか。(他にあればお教え下さい。)
『真昼の決闘』に比べたら『終着駅』の方が遙かに濃密な時間が
流れていたように思うのですが、もう一度見直してみたいです。
--
惠木
From: egi@sannet.ne.jp (Katsumi Egi)
Newsgroups: fj.rec.movies
Subject: Re: さよなら、マデリーン・カーン
Date: 5 Dec 1999 01:28:58 GMT
惠木です。
In article <82bdu6$dde$1@nw041.infoweb.ne.jp>, fwjh2591@mb.infoweb.ne.jp
says...
>
>12/4夕刊の死亡記事に、マデリーン・カーン卵巣癌で死去の報を見ました。
>『ペーパー・ムーン』や、メル・ブルックス黄金期の諸作品で欠かせないコメディエ
>ンヌでした。
『ブレージング・サドル』『ヤング・フランケンシュタイン』、
といったメル・ブルックス映画の彼女も忘れられませんが、私が
一番好きなのは『名探偵再登場』で髪色を何度も変えて登場する
彼女です。すっげえ女優だなぁと思いました。
この『名探偵再登場』には、アン・マーグレット、アイリーン・
ブレナン、ストッカート・チャニング、ルイズ・フレッチャー、
マーシャ・メイソンといった個性の強い女優たちがでているので
すが、出番は少ないかがらマデリーン・カーンが一番印象に残っ
ております。
--
惠木
From: egi@sannet.ne.jp (Katsumi Egi)
Newsgroups: fj.rec.movies
Subject: Re: ホークス映画祭
Date: 6 Dec 1999 23:08:25 GMT
惠木です。
In article <74A9730BE065D311BC8E0000E2087AF413DEC1@news.netz.ne.jp>, msh@21.fm
says...
>
>しかしホークスの中でも、「三つ数えろ」だけは素直に楽しめなかったんで
>す。なぜかは分からないんですが、恵木さんはどう評価されています?
>この映画。僕は3度見ましたが、忘れてしまったんですね、ほとんど。
私は、初見の時から大興奮した映画です。
この映画はストーリが込み入っていて、明らかにプロットの欠落
もありそうなんですが、しかし、全編全シーンとも異様に格好いい。
ホークス自身も「ストーリを描くことを止め、いいシーンを撮るこ
とだけに専念した」という風なことを言っています。
私にとっては「映画においてストーリなんてどうでもいい、重要
なのは良いシーン」ということを実証している好例です。
ラストシーンのボガートとバコールの格好良さなんて、もう神業
としか思えない、極限的な、気が狂いそうなくらいの格好良さです。
--
惠木
From: egi@sannet.ne.jp (Katsumi Egi)
Newsgroups: fj.rec.movies
Subject: Re: 真昼の決闘(Re: ピーター・ハイアムズ)
Date: 10 Dec 1999 22:23:25 GMT
惠木です。『ロープ』は忘れてました。m(_._)m
In article <384EB1F3.ACE1E3C4@ceres.dti.ne.jp>, kwgch@ceres.dti.ne.jp says...
>
>『真昼の決闘』で時計を頻繁に映していたのは、そのことで
>上映時間=物語の時間というのを強調したかったんでしょうか。
>でも、映画で上映時間=物語の時間にすることに、さほど意味が
>あるとは思いません。ウルトラマンが3分以上戦っていると
>ケチをつけるような、つまらないことだと思います。
うまいこと仰います。同感です。
さて、ポール・ハーシュという編集者をご存じでしょうか。彼は
デ・パルマ作品を10本近く手がけている人で、あと『スター・ウォ
ーズ』(エピソード4)なんかも彼の編集です。この、ポール・ハー
シュがこんなことを言っています。
「『真昼の決闘』では、なんの緊張感もない映像が、断続的に挿入
される時計のカット、時計の針がどんどんどんどん正午に近づいて
いくカットによって非常に緊張感溢れたものになっています」
という感じで、サスペンス・シークェンスの編集のお手本として
『真昼の決闘』の時計の描き方を上げる人も多いでしょうね。
>『真昼の決闘』に対する批判的な意見として、人情を描いてきた
>西部劇の伝統に反する、というのがありますが、私としては
>どっちもアリかなと思っています。
これは、「保安官を町中の誰も助けない」ということを指してお
られますね。西部劇の伝統に反するという意味では、「保安官(プロ)
が町人(素人)に助勢を懇願する」という「ヒロイズムの失墜」の方
がよく取り沙汰されるように思います。
これとて、私としても、どっちもアリだと思いますが、しかし、
『真昼の決闘』があったおかげで、ホークスとウェインが反発して
『リオ・ブラボー』(保安官が素人の助勢を断る映画)を作った訳で
すから、ある意味『真昼の決闘』は映画史に多大な貢献をしていま
すね。
--
惠木
From: egi@sannet.ne.jp (Katsumi Egi)
Newsgroups: fj.rec.movies
Subject: Re: もうすぐ、クリスマス♪
Date: 21 Dec 1999 22:36:22 GMT
惠木です。
In article <83avh3$ova$1@meshsv230.tk.mesh.ad.jp>,
m-ishibashi@mtb.biglobe.ne.jp says...
>
>皆さんは、クリスマスのシーンが印象に残ってる映画ってあります
>か?
『ジャイアンツ』でロック・ハドソンとリズ・テイラーの孫達が
七面鳥を食べるシーン。大した映画じゃないことは判っているのだ
けれど、このシーン見たさに何度も見てしまう。このシーンを見る
といつも泣き笑いしてしまう。
ルビッチの『桃色の店(街角)』のクリスマスイブのシーン。雪降
る中、通りを一人歩くジェームズ・スチュワート。その雪の美しさ!
スチュワートでクリスマスといったら『素晴らしき哉、人生!』
でしょう。キャプラとかワイルダーといった今ひとつ現実らしさを
飛び越えない喜劇作家は私は好きになれないのですが、この映画だ
けは別格。スチュワートが子供達に八つ当たりするシーンの切なさ
といったら!
--
惠木
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