傑作。今後再評価されるべき作品だろう(インターネット上の映画ファンの間
では既に再評価されつつあると云ってもいいと思うが)。とても明晰な映画。オ
ープニングは林の中を左から右へ横移動する清水らしいショットだ。画面奥には
小川の横の道というか川岸を歩く3人。若い男女は川崎敬三と藤田佳子。もう一
人は上原謙で、藤田の父。川崎と藤田は新婚夫婦。上原はパパと呼ばれている。
中秋の名月を見るために、懐かしい山小屋に来たと云う。
全編、信州(上高地か)の山小屋とその周辺が舞台。すぐに上原のショットか
らフラッシュバックし「昭和22年」とテロップが出る。本作はこの後、3年後
(昭和25年)に話が飛び、さらに3年後(昭和28年)の場面が描かれて、終
盤には冒頭の時間軸(また3年後だとしたら昭和31年/1956年)に戻って
収束する。ちなみに各年代の導入部は、全て、右から左へ横移動しながら山小屋
を映すショットで統一されている。本作は植物学者の上原とかつての助手−木暮
実千代との10年近くにわたる恋愛譚。それをある山小屋とその周辺だけで描く
趣向だ。
まずは昭和22年、プロットの起点となる部分で、木暮の友人−浜世津子とそ
の不倫相手−丸山修との厭世的な描写からスタートさせている構成が上手い。こ
れがラストまでジワリと効いて来る。また、上原が露天の風呂で「人を恋うる歌」
(妻をめとらば才たけて〜)を唄う伏線。こゝに彼の妻が東京から突然やって来
て木暮との対決になる展開。上原と妻との会話を画面手前に映し、部屋の外で聞
いている木暮を画面奥に置いた縦構図ショットが清水らしい。木暮は置手紙をし
て出奔する。
3年後(昭和25年)、上原が中学生ぐらいの娘を負ぶって来る。山小屋は坂
本武と浦辺粂子の老夫婦がやっている。上原は20年ぶりの友人−見明凡太朗と
再会。2人で戸外の風呂に入る。妻は死んだと云う上原。また、離れの2階には
芸者を連れた客−柳永二郎と浪花千栄子。そしてもう一人の芸者は木暮だ。やゝ
あって木暮が風呂に。山小屋の囲炉裏端では、上原と見明が「妻をめとらば〜」
とやりだす。こゝから描かれる山小屋と離れ、及びその2階の空間を使って見せ
る見事なすれ違いの演出にしびれる。
また3年後(昭和28年)。上原と女学生になった娘−藤田がやって来る。浦
辺たちと再会。藤田が上原をパパと云うのを聞いて、浦辺はパパってどういう意
味だ?と聞く(さすがにそれぐらい知っているだろうとも思うが)。この場面で
藤田はキャンプに来ている川崎と出会うのだ。そして、今回も離れの2階には、
3年前と同じ柳たち、浪花も木暮もいるという偶然。しかし、この場所で中秋の
名月を見るというモチベーションが設定されているので、この偶然がご都合主義
に感じられないのが上手いところだ。
そして冒頭の時間軸に戻って恋愛譚が収束する。全体、依田義賢のスクリプト
がとてもよく出来たものだろうとはオモンパカるが、全編に亘る息詰まるような
緊張感の創出は、清水宏の演出に拠るものであることは間違いない。伊福部昭の
劇伴の使い方−実は劇伴を使わない、無音の場面が非常に多いということ含めて、
実に計算された演出と思う。ラストシーンで、小さな女児の手を引いて山小屋の
外に出た上原が、雪を頂いた山の見える林の中を歩く。こゝもそうだが、タイト
ルに偽りなく、霧が画面に定着しているショットも随所に出てくる。いつもなが
ら、伊福部の劇伴がいい。
#備忘でその他の配役などを記述します。
・冒頭、上原の妻からの速達郵便を持ってくる、山の男性は石原須磨男。
・上原の妻は万代峯子としているサイトもあるが、私は大塚道子と思った。
・浪花を負んぶして運ぶシーンがある六郎次は上田寛。
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