プロローグは1953年。画面左に丈の高い植物−サトウキビ畑のある田舎道。
このファーストショットはいいと思った。画面奥から人が手前に歩いて来る。だ
んだんと少女だと分かる。中学生ぐらいか。少女−阿月は、サトウキビ畑の中に
入る。こゝは兄の隠れ家。兄が描いた絵と物語のノート。兄から腕時計を渡され、
針を巻きながら未来のことを思い描く会話シーン。
メインプロットは一年後(つまり1954年)の3日間ぐらいの時間軸。プロ
ローグの少女−阿月が台北の斎場(極楽斎場というネーミング)に兄の遺体を引
き取りに行く物語だ。ちなみに、メインプロットの終りに後日談のテロップ(い
わゆるアメ・グラ形式)があり、エピローグとして半世紀後のエピソードが繋が
れて終わる。
さて、本作はとてもいいお話だと思う。特にエピローグは私とて泣いてしまっ
た。しかし、残念ながら私は「良いお話」だから「良い映画」とは思わないタチ
(指向性)で、良い画面の希薄な(あるいは違和感のある画面の多い)本作のこ
とが「良い映画」とは感じられなかった。例えば、まずは台北の当時の街並みの
復元が、なんかNHKドラマのセットみたいだ。それに、シネスコでの引いた構
図は私の好みだが、多分、チェン・ユーシュンの好みはさらに広角ぎみの画角の
ようであり、これによる画面の微小な歪曲が私には違和感として残る(はっきり
云って快くない)。
また、プロット構成においても、阿月の姉の養子先(義父及び義兄)との関係
を挿入する部分なんてイマイチだと思うし、阿月が遭遇する神出鬼没の大泥棒−
『1秒先の彼女』や『オールド・フォックス』のウー・グアタイの描き方だとか、
車夫の趙公道が、秘密警察の男を暗殺するはめになる展開など、一定の面白さは
あるけれど、見ている最中からプロットが放散する感覚の方が強かった。あるい
は、医科大学で解剖に使われる検体が、ホルマリン漬けにされているプールの描
写なんかも禍々しくて良いと思うが、こゝにプロローグの阿月と兄とのやり取り
をフラッシュバックで挿入する演出はベタ過ぎるというのが私の感覚だ。
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