本作のムルナウの画面造型、特に屋内シーン、さらに絞って云うと居室の場面
の構図は徹底している。つまり、オープンスペース(屋敷のエントランスとか、
劇場の舞台など)を除いた、閉じた部屋における画面は、多分例外なく、部屋の
隅(壁の繋ぎ目)が画面中央奥に配置された(2つの壁が画面中央奥に向ってい
るように配置された)構図で統一されているのだ。多くのシーンでは、画面手前
に机なりテーブルがあり、人物が座っているショットとして示され、画面奥には
執事やメイドがいたり、ドアがあったりして、パンフォーカスとまではいかない
が、かなり被写界深度の深い撮影で捉えられている。これにより、奥行きのある
立体的な画面を獲得すると共に、現実よりも広い部屋に見える、ある種の威容さ
(異様さ)を醸成していると思う。部屋の端を画面奥に配置した構図ということ
では、ロイ・アンダーソンなんかが絶対に本作を意識していると感じたが(ホン
トはどうか知りませんが)、奥行きを強調して部屋を大きく見せるという点では、
本作の方が過剰と云えるだろう。
本作は『吸血鬼ノスフェラトゥ』の前年の映画であり、現存する最初期のムル
ナウ作品だ。4人の男女(男女それぞれ2人)による愛憎劇で、タイトルにある
「夜」は「光のない世界」もしくは「死」の隠喩。なので、4人の内の複数の人
物が命を絶つという帰結が描かれる純然たる悲劇−メロドラマ−であり、だから
こそ、私が見たムルナウの中でも、最も大仰なディレクションで溢れている。特
に、主人公の医師・エイギル−オラフ・フォンスによる終盤の感情表現は、今見
ると流石にオーバーアクトに過ぎるだろうと思わせられるが、しかし、彼の動作
は意識して非常に緩慢にディレクションされていて、この悠々たる時間の使い方
には目を瞠る部分も多い。対照的に、盲目の画家を演じるコンラート・ファイト
はとても抑制的な造型であり、上手くバランスを取っていると思う。
さて、画面造型でもう少しだけ書いておきたいことがあって、一つは、あまり
多くはないが、屋外のショットもとても良いということで、後半の海辺の描き方
を指している。海岸と断崖。コンラート・ファイトが登場する洞窟のようなマス
キングされた海岸と小舟のショット(これはフラッシュフォワードか?)。ある
いは崖上の斜面に横たわる男女のショット。もう一つは、特徴的なディゾルブ繋
ぎの演出について。これは1920年代の世界的流行とも思うが、本作において
も、継続した時間の流れの中でのポン寄り/ポン引き/アクション繋ぎといった
編集の際に、軽いディゾルブが使われ、それがバッチリ決まっている。あともう
一つ。シーン転換でアイリスアウト/インも多用されていて、普通ならこちらの
方が目に留まる観客が多いだろう。しかしこの技法に関しては、今現在の目で見
ると、映画のリズムを弛緩させているように私には感じられた。
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