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『リンダとイリナ』
(ギヨーム・ブラック,2023)

 これも面白い!ギヨーム・ブラックの傑作短編。と書くと、見たことのある人
の多くは、どこが傑作なん?と思われるような気もするが、それは映画の何を楽
しむかに拠るだろう。さて、本作も『宝島』同様に、どの映画サイトにおいても
(本邦だけでなく仏や米含めて)「ドキュメンタリー」に分類されている作品だ
が、私は、絶対的に「ドキュメンタリー」ではないと考える。

 先に、多くの人がどうでもよいと思うであろうこんな議論をどうしてするのか
ということを書いておきたい。それはひとえに、私は本作を「劇映画」として実
に面白く見、巧妙に作られていると感じたからだ。はっきり云って、仮にこの映
画の宣伝情報として、製作者側から「ドキュメンタリー」と明示されていなかっ
たとしたならば、全ての人が「フィクション」だと認識したのではないだろうか。
本作の製作過程を私は知らない(仏語のサイトも当たってみたが、根気がないの
が所以かもしれないけれど知りたい情報は得られなかった)。例えば、出演者た
ち(主要な人物は3人。リンダとイリナだけでなく、オルネラも加えるべき)の
科白は、スクリプトとして全く用意されておらず、全て彼女らが撮影時に自ら考
え発した言葉なのかも知れない(それも考え難いのだが)。しかし、照明・撮影・
録音といった部分において、あるいは、出演者の所作や視線において、多大な段
取りやディレクション無しで作られたものだとは到底思えないのだ。

 その顕著な例であり、私が最も巧妙に作られていると感じたシーンが、リンダ
とイリナの2人が、何かの面接を受ける場面だ。こゝは窓からの光の扱いも素晴
らしいショットの連続だが、何よりも、リンダとイリナと面接官の女性の会話が、
全くスムーズなショット/リバースショットで繋がれている。まるで2台カメラ
の同時撮影・編集みたいな繋ぎ。音響含めて実にスムーズなのだ。また、リンダ
一人のバストショットから右にパンしてイリナ一人を映すカットがあり、それぞ
れが自分の発言ではなく、他者の発言を聞くタイミングで映されるというのも巧
妙さに輪をかけている。

 あるいは、プロット(彼女たちの関係性・心持ちの小さな変化)と醸し出すム
ード(所作・表情)の一貫性も完璧じゃないか。ラストがヴァカンスで、3人が
ビーチに繰り出すシーンである、というギヨーム・ブラックらしい展開なのも、
本作がフィクションとして良い、と感じさせるところだが、海へ向かう列車の中
のリンダとイリナの見せ方を含めて、ビーチでうつ伏せに寝転がった3人のショ
ットが極め付きだが、何ともアイロニカルなエンディングがフィクションとして
素晴らしい。同時に、これも紛れもない友情であると思わせる懐深い「演出」だ
と感じられる。