1911年はアラン・ドワンの監督デビューの年。これは同年の一巻モノの西
部劇だ。主要人物は、タイトルにある牧場主とその妻と子(小さな娘)、妻の父
親、そして流れ者の男の5人。端折った梗概を記す。主人公の牧場主が、行き倒
れになっていた流れ者を家に連れ帰って、しばらく滞在させたところ、流れ者と
妻が懇ろになってしまう。こゝでなぜか牧場主は身を引く(どこかへ去る)。数
年後、流れ者は妻に酷い暴力を振るうようになり、元の夫(牧場主)が戻って来
て、流れ者と対決する。というような、ちょっと唖然とするような浅薄といって
もいいプロット展開だ。
ただし、いろいろと書き留めておきたくなる細部がある、まず、開巻は牧場の
家屋(住居)の玄関前を、斜めに撮った画面で、この構図が以降、定点的に何度
も出て来る。ファーストショット時点で牧場主の夫婦と小さな娘が映っているが、
妻が一見して黒人かと思ってしまうようなメイクをしている点も気になる。これ
は多分、メキシカンの夫婦という設定かと思う。また、牧場は牛ではなく羊を飼
っている。あるいは、流れ者は白人である。この辺りの設定は、人種差別のニュ
アンスを含んでいるのかも知れない。
画面造型としては、矢張り、固定の引いたショットしかなく、人物に寄っても
膝上ぐらいのショットだ。というか、ロングショットがかなり多いと感じる。ま
た、上にも書いた、何度も出て来る牧場家屋のショットは、画面右から左へ奥行
きを定着した構図であり、牧羊風景や荒野の道なども含めて、手前から奥への縦
構図がかなり意識されている。尚、ポン寄り、ポン引き、切り返しのようなカッ
ト割りは出てこない。
プロット展開の難に加え、さらに陳腐に感じられるのがオーバーアクトという
か、ワザとらしい演出の部分で、例えば、牧場主の妻と流れ者が玄関前でイチャ
イチャするのを、ソンブレロをかぶった男(妻の父親)が覗き見る、というよう
な部分の演出で指摘できる。窃視者の位置は、明らかに流れ者の視野に入ってい
ると思われるのに、何も気づかない、なので窃視者の演技もワザとらしく見える。
こういう場面で、窃視者にポン寄りのように寄って、一人だけのショットで繋ぐ
という演出ができていれば、このワザとらしさは幾分か回避できただろう。
あと、終盤の対決シーンが、唐突に海岸の岩場になる(川岸ではなく海岸に見
える)、というのは映画的ないい加減さで良い演出だと思う。こゝの俯瞰ショッ
トの連打は見応えがある。そして、ラストが墓地で締められるというのも、西部
劇らしい、落ち着きのいいエンディングだ。
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