とても豊かな面白さを感じる映画だ。一筋縄ではいかない面白さと云った方が
良いかも知れない。まずは画面造型として様々な技巧が試みられている点を書こ
う。ちなみに、アスペクト比はスタンダードサイズ。
ファーストカットは大きな駅のペデストリアンデッキというのか通路のショッ
ト。多くの人が行き交う。ゆっくりとズームインして歩く河合優実−カナに寄る
(調べると町田駅らしい)。続いて、カフェで友人の新谷ゆづみ−イチカに会う
場面。こゝでも新谷の話を聞く河合に極めて緩やかに寄るズームイン(ドリーで
はない)がある。こゝは河合の目の玉が丸くなっていく顔演技が面白い。あるい
は、隣席の若い男性たちの会話を、耳障りなノイズとして表現する演出も。また、
河合と新谷の肩ナメ切り返しがずっとハンディカメラで撮影されていて、この時
点では、本作も手持ち主体のよくあるドキュメンタリータッチ演出かと失望させ
られたのだが、いやそれはフェイク(だまし)なのだ。以降、手持ちは半分ぐら
いだろうか。
さらに、私の嫌いなズームインは、全編で何度か使われる。しかし、どれも納
得感のある、もっと云えば驚きのある使い方なのだ。その一つは、河合が寛一郎
−ホンダの部屋を出ていく直前のシーン、彼女が部屋の中でコーンアイスを食べ
るショット。他にも、金子大地−ハヤシと同居して間もなくのシーンで、宅配便
の来訪の際、ソファに置いたまゝのスマホにズームインするショット。こゝで観
客は、本作タイトルの意味を了解する。また、前後するが、河合が金子と再会す
る駅前デッキのショットでの素早いズームインも忘れがたい。この直後の2人が
歩くカットでストップモーションし、こゝにタイトルが入るという今までのリズ
ムを変化させた転調の演出も人を食っている。始まって45分ぐらいしてのタイ
トルインだ。
もう少しだけ技巧的な話を続けると、後半で、屋内に3台ぐらい設置した固定
カメラからの定点的なマルチ撮影カッティングの部分がある。河合と金子が格闘
技のような(遊んでいるのかとも思うような)喧嘩をする場面だが、こゝもムー
ドをガラリと変える外連味のある演出だ。さらに、画面右上に小さくスプリット
スクリーンで河合の画面を出現させ、客観視点を挿入するのは河合の双極性が補
完される演出だろう。後半の河合と金子の関係を描く部分は、まるで『死の棘』
のような面白さがある。他にも、人物間の長いディゾルブ繋ぎだとか、カウンセ
リング場面(『悪は存在しない』の黛さん−渋谷采郁がカウンセラーで出てくる
場面)の箱庭療法の植物から、森の中の大俯瞰ショットへの繋ぎなど、こういう
フックになる技巧が沢山出てくる。
あと、プロットや設定上の道具立てでも、言及したくなる様々な仕掛けがある
だろう。嘔吐と給水、妊娠と堕胎、喫煙とその場所、美容脱毛と医療脱毛、それ
ぞれの効果、日本人と謝罪の多さ。鼻ピアスと鼻血。脇役では、終盤になって満
を持して登場する隣人役の唐田えりかが鮮やかな見せ方だ。登場までに、壁の向
こうから隣人の声が聞こえてくるのを意味深に見せるお膳立てが効く。河合と唐
田が2人してマイク真木の「キャンプだホイ」を唄いながら焚き火の上を飛び越
えるシーンも面白い。そして、書くのを最後に取っておいたが、本作は、何より
も河合優実が出ずっぱりの、それは、ほゞ全てのシーンに彼女が出ていたのでは
ないかと思われるぐらいの、河合優実を愛でるための映画になっている、という
ことだ。とても重要なことだと思うので書いておきますが、本作には彼女の乳房
(乳首まで)が映るショットもあります。
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