矢張り、この人は一筋縄ではいかない作家性のある監督だ。ディズニーのファ
ミリー向け映画の後に、こんなとんでもない問題作をぶっこんで来る。まずは前
半の3つの長回しは、かなり挑戦的な姿勢じゃないか。3つとは、家屋全景のロ
ングショットで、ルーニー・マーラが画面奥の家の扉と、画面手前のゴミ捨て場
を往復するカット、夜中のベッドの二人(マーラとケイシー・アフレック)の俯
瞰カット、そして、マーラがキッチンの床に座ってパイを食べるカットを指して
いる。これらは、文字通りの長回しであって、普通の感覚で云うと無意味に長い。
つまり、プロットを経済的に運ぶということを拒否しているのだ。
さて、本作はオフスクリーンで発生する唐突な音の設計がとても良く出来てい
る。幽霊譚なのだから、当たり前、というレベルを超えた豊かさがある。例えば
夜中に響くピアノの音。クラクション。巨大なブルドーザ。マーラが窓を叩く音。
先住民の襲撃の音。
そして、本作はシーツの映画である。と云うと、これも至極当たり前な物言い
の感じがするが、冒頭、夜中に上半身裸でリビングを見に行くアフレックの、そ
の後ろを恐る恐る付いて行くマーラもまた、白いシーツを体に巻いているである。
この場面に続く、ベッドに戻って、愛撫し合う俯瞰のカットは、上にも書きまし
たが、これが異様に長いのだが、こゝはとても触覚(手や唇の肌触り)を意識さ
せるカットになっており、この後の、触れることのできない切なさを増幅させる
ことに繋がっているだろう。本作中、この次に強烈に触覚を喚起するカットは、
壁の隙間の手紙を取り出そうする場面であり、いずれにしても、触覚はマーラに
触れるという意味で成し遂げられる(成就する)のだ。
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