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『1984』
(マイケル・ラドフォード,1984)

 最初期のロジャー・ディーキンスの仕事を確かめたい、というニーズが一番大
きかったし、いわゆる銀残し(あるいはブリーチ・バイパス)に関する英米での
嚆矢と云われる作品であり(勿論、世界的な嚆矢は宮川一夫だが)、その品質も
見たかった。いや、確かに、屋内における窓外の自然光(?)を取り入れた光の
扱いや、緩やかな視点移動のリズムなどは、近作の『ブレードランナー 2049』
にも通じるディーキンスらしさを感じ取ることができる。タイトルと同年に撮影
された映画であり、既に30年を超える時間を経過しているのだが、銀残しの質感
に関しても、プロット展開の、過去の回想のみならず、夢か幻想かと思える場面
のフラッシュバック挿入といった編集に関しても、ほぼ現在の映画の潮流を、こ
の映画の時点で実装していたことを確認することができた。
 ただし、ジョン・ハートとリチャード・バートンが、101号室の扉を開けると、
美しい緑の丘陵が見える、というカットの度々の挿入は、成功しているとは思え
ない。観客を混乱させるだけの中途半端なイメージカットだろう。ジュリア役の
スザンナ・ハミルトンが、きちんと性的なシーンをこなしているのは、良いのだ
が、正直、もっと綺麗に撮ってあげたいと思ってしまう。森での初めての情事の
シーンで、ユニフォームを脱いで全裸になるカットでも、骨董屋の2階で、ワン
ピース姿になるシーンのメイクでもそれを感じる。

 尚、1956年版に比べると、美術装置にかなり費用がかけられている。それもあ
って、全体に戦時下のムードがよく出ている。それと、暴力シーン、拷問シーン
の怖さの表現は本作の方が勝っている。ただ、鼠の扱いや、歴史的事実の改竄と
いった部分は1956年版の方がストレートに分かりやすく描いていた。また、リチ
ャード・バートン(オブライエン)の自宅にジョン・ハート一人で訪問する、と
いう改変は一体どうしてなのだろう。ジュリアと二人で訪問するから意味がある
のであり、この改変は全く理解に苦しむ。なんらかの理由でスケジュール調整が
できなかったとしか思えない。