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『15時17分、パリ行き』
(クリント・イーストウッド,2018)

 映画には達者な演技なんて全然必要じゃないことは、その生誕時、リュミエー
ルの頃から分かっていることだ。素人ばかりを主要な配役に起用している映画な
んて数多あるし、正直私は、ジュディ・グリア(スペンサーの母親)やジェナ・
フィッシャー(アレクの母親)といった玄人俳優の演技よりも、主演3人の若者
の方がずっと好感が持てる。たとえが古すぎるが、映画の被写体においては、ロ
ーレンス・オリヴィエよりも、常にジョン・ウェインの方が優位である、という
事実と似たようなことだ。素人俳優に魅力を感じさせる、という成果は、素直に
イーストウッドの演出力なのだろうとは思う。

 しかしだ、当事者が本人を演じている、という部分については、これだって、
そんな映画は過去に何本もあるわけで、本作のこの趣向について、有難がる必要
はないと思うのだ。ラストの記録映像との整合という方便だけは、勿論奏功して
いるけれど、私が云うのも気が引けますが、これって、あまりにテクニカルな美
点ではないだろうか。

 さて、映画全体の感想を云えば、近年のイーストウッドの水準以上でも以下で
もない、凡作という言葉を使うほど酷くはないが、過去の傑作群の力を考えると
寂しい出来だと私は思う。まず、前半の母親2人と学校の教師陣の、ステレオタ
イプな薄っぺらい人物造型に驚いた。『チェンジリング』ぐらいまでのイースト
ウッドだと、こんなことはなかったよなぁ、と思う。この印象の悪さが私は後に
残ってしまった。

 結局やっぱり、本作の一番の見どころは、ヨーロッパ旅行の各シーンではなか
ろうか。特にイタリアでの、船で東洋系の女性と知り合う場面の、いきなり船外
の視点のカットになる演出はキャッチする。こゝだけじゃなく、こういうきめ細
かな視点移動は随所にある。ホテルの受付嬢が階段を上るシーンなんかもそうだ。
また、アムステルダムのクラブのシーンの濃密度も特記すべきで、これが本当に
イーストウッドのディレクションなら(って、なんか疑っているのだが)、老い
を感じさせない嬉しくなるシーンだった。あと、アフガニスタンとアムステルダ
ムのシーンへの転換が顕著だが、地名のクレジットも出さずに、いきなり空間を
ジャンプするカッティングはいい。一見不親切な繋ぎだが、まずは、観客を驚か
してから(この場合だと、これどこ?って思わせてから)、後のシーンで観客に
分からせる、というのはとっても大事な順番だと思う。