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『96時間』
(ピエール・モレル,2008)

 これも、いい加減さの美徳が横溢する映画だ。こゝで云う「いい加減」とは、
勿論、良い匙加減というよりも、出鱈目という意味に近い。出鱈目であることは
いかなる場合も映画にとって美徳なのだ。例えば、主人公のニーソンは強過ぎる。
この「過ぎる」こと、過剰であることを私は出鱈目だと云っている。一度捕まっ
たニーソンが、いともた易く逃げおおせる、パリでこれだけ暴れ回ったニーソン
が何事もなく帰国する、といった梗概レベルの出鱈目さも含めて、良しとしたい。
 さて、最も瞠目した部分は娘が誘拐される場面での携帯電話の使い方。これは
秀逸だ。このシーンも少々出来過ぎの感はあるが、ベッドの下に隠れて、パリと
ロスを結び会話をする、さらにニーソン側では素早く会話を録音する、といった
固定電話を使うことでは造型できない、離れた空間を繋ぐ道具立てとしての携帯
電話の良さが演出されている。